やりたいことは仕事にならない

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はじめに

やりたいことを仕事にしよう、というのはこの時代よく聞くテーマですね。しかし、僕の考えとしては、大多数の人間にとって、やりたいことでお金を稼ぐというのは不可能ということです。これわかりにくいので解説してみようと思います。

 

自分がやりたいことに他人はお金を払わない

人間がやりたいこととは何でしょうか?

まずは基本欲求です。食べる、眠る、セックス。やりたいならお金がかかりますね。誰もお金はくれません。眠るは安心して眠るぐらいの意味です。
(…上記、やりかた次第ではお金いらないんですが、ややこしくなるので、ここでは簡略化させてください)

次に、近代的な欲求。コンテンツ消費や、レジャーなど。これらもお金を払わないと享受できません。ゲームで遊んでいてお金はもらえません。

お金を得ようと思うと、上記を受ける側でなく、与える側に立たないといけないのです。

ユーチューバーがゲーム動画で儲かるのは、その動画を見ている人が楽しんでいるからです。ユーチューバー自身のゲームプレイがお金を生み出しているわけではありません。

風俗嬢がセックスで儲かるのは、お客さんがセックスしたいからです。風俗嬢自身がセックスしたいわけじゃありません。

それを踏まえて、他人に与えるにはどうすればいいのでしょうか。

 

自分がやりたいくないことをしない

僕自身を例にしますと、プログラムもゲームも好きでしたが、会社を辞めて個人開発でやっていこうと決めました。
これは、会社への通勤、人との意見とのすり合わせ、というものが本当に嫌だったからです。通勤しなくてよくて、静かな環境で気ままに動ける、という条件かつ、お客さんに求められる可能性のある商品は?と考えた結果、ゲームを1人で作る、という結論に達しました。

例えばゲームに詳しくなければ、Webサービス開発でも、プログラムに詳しくなければ、不動産でもアフィリエイトでも、なんでもよかったと思います。
嫌なものから逃げるのが本質です。

無職になって、スマホゲームのガチャもしなければ、高い飯も食わなくなりました。いきなり、そんなに支出を抑えられるね、と人に言われましたが、また会社で嫌な思いをするぐらいなら、毎日梅干しご飯食べてるほうが全然マシというだけです。

まとめますと、めっちゃやりたいわけではないけど、まぁそこまで嫌じゃないし、やってもいいかな…を仕事にしよう!ということになります。
つまり今そんな感じで働けているなら大正義です、それになにか負い目を感じるとしたら、やりたいことという、見つけるとキラキラの毎日になるような何かがある、という妄想に騙されているだけです。

 

おわりに

結局、やりたくないことをしない=やりたいことをしよう!という表現がされているだけなのかもしれません。しかし両者はイコールではありません。そのせいで、やりたいことなんかねぇよ…っていう不要な悩みが生まれてしまうので、この表現はよくないと思いました。