コミュ力のデメリットについて:相手に合わせるコミュニケーションでは自分を大切にできない

雑記/考えたこと

こんにちは、深島です。

コミュ力。あればあるだけいいと思われてますが、デメリットについてはあまり周知されていないので、ここに記します。
人間関係について強力な武器ですが、反動も強いです。いわゆる諸刃の剣だと思っています。

僕はかなり陰キャなんですが、どのコミュニティにいってもそこそこすぐ馴染めるコミュ力がありました(ある友人はカメレオンと評した)。
これを便利だからと使っていたら、いつの間にか、自分のメンタルがボロボロになっていました。

その経験から、似たような人への警告と、コミュ力に憧れる人に、そんなにいいもんでもないということをお伝えできればと思います。

理想としては、自分を優先すること、相手を優先すること、自覚的にバランスを取る必要があります。


コミュ力の秘訣は相手の欲しいものを渡すこと

仲良くなるには相手の欲しいものを渡しましょう。物理的なものでもいいですが、まずは言葉や態度ですね。

ただそれは相手の欲しいものなので、自分からすればわりとどうでもいいことが多いです(まれに一致することもあります、それはとても珍しいことです)。

どうでもいいけど、仲良くなりたいので、相手が欲しいものを選びます。仲良くなれるのは嬉しいのでこれ自体は問題ありません。



人が2人いれば100%意見が合うことはない

問題になるのは、意見を相手に合わせ続けることで自分が譲り慣れてしまうことです。

2人でランチに行く場面を考えます。

今日何食いに行くー?なんでもいいよー、あ、駅前にチャーハン屋さんできてたよ。じゃぁそれいきますか〜。

この場合、どちらかが、まぁ今日はチャーハン「でも」いいかとなっています。
ここで折れています。

一回一回は大したことじゃ無いんですが、これが積もるとマズいことになります。

いやそんな昼飯なんてなんでもいいわ…って思った人は自分がだいぶ折れ慣れてしまってるので要注意ですね。

元々譲れない人はそもそも他人とランチに行かないでしょう。自分のこだわりの店でひとりで食べるはずです。


人に合わせ続けると自分がわからなくなる

Aくんといるときはラーメンだな、Bさんといるときは回転寿司だな、ということをやってると、自分ひとりになった時に、あれ?俺ひとりで何食おう…なんでもいいや、みたいになってしまいます。

しかしこれは見えなくなっているだけです。
このときは自覚できないんですが、僕は唐揚げが食べたかったのだとします。ですが、唐揚げを食いたいという自分の欲求が見えないのです。

結局わからないので、とりあえずラーメンを食べるんですが、自分の欲求と違うので、そんなに嬉しくはありません。


自分を取り戻すためにひとりになる

誰にも合わせないで生活してると自分の声がまた聞こえるようになってきます。こちらが話を合わせないなら、暇つぶししたい人は話しかけてこなくなります。そこではじめて自分の内なる声に気付けます。

唐揚げが食べたい!

そうです、僕は唐揚げが食べたかったのです。これは誰かといる限り永遠に気付きません。

自分の好きなものが自分で理解できると、他人を利用せず幸福感(ハッピー)を持続できます。

具体的には、

・美味いものが食いたい!>唐揚げを食う!ハッピー!
・あのゲームやりたいな>ギャルゲーを遊ぶ!ハッピー!

…バカみたいだけど本当です。この唐揚げもギャルゲーも誰かに合わせるために選んだものではありません。単純に自分が好きだから選んだものだからです。

現代社会に適応していると、自分が好きだからという理由で、ものを選んでいることは少ないと思います。誰かが美味しいと言っていた…友達が面白いと言っていた…そんな理由で日々選び続けているのではないでしょうか。


相手に合わせるコミュニケーションだけでは、自分を大切にできない

この自給自足ハッピーを封じられてしまうのが、諸刃の剣の呪いなのです。

また、コミュ力がないから人に好かれないという人は、自分を曲げていないということでもあるので、自分の仕事に全力を出せるのでいいと思います。向いてない技術を無理に習得して、大して役に立たないとがっかりするのでやめましょう。

最後に僕の人生の指針としているショーペンハウアー 先生の言葉を記します。

「人間は他人と合わせようとして自分の4分の3を失う」

アルトゥール・ショーペンハウアー

ですが、ショーペンハウアー 先生は極端すぎるので、半分ぐらいは譲っても良いと思います。

「他人に合わせるのは自分の2分の1まで」

ふかじま




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