こんにちは、深島です。
最近、AIの存在によって、ゲーム開発へのやる気がなくなってしまいました。
作るのが楽になるなら、むしろうれしいはずです。僕もそう思いたかったのですが、長く時間を使ってきたゲーム制作では、便利さだけでは片づけられない気持ちがあります。
つらかったのは、作れなくなったことよりも、これから努力を積み重ねる意味が分からなくなったことでした。
今回は、その気持ちを整理してみます。創作が好きだったのに、AIの話を見ると手が止まってしまう人には、少し分かってもらえるかもしれません。
技術を磨けば報われる、と思えなくなった
以前は、ゲーム制作の技術を覚えることに、もっと素直に希望を持てていました。
できなかったことができるようになる。作業が速くなる。作品の品質も上げられる。そうやって身につけたものが、将来の自分の強みになる感覚があったんです。
ところが今は、何かを勉強しようとすると、先に疑問が出てきます。
「今100時間かけて覚えることが、半年後にはAIで簡単にできるようになるんじゃないか」
もちろん、そうなると決まったわけではありません。でも、その可能性が気になって、目の前の勉強に集中できない。
AIを使えばいいという話も分かります。ただ、僕が頼りにしていたのは、一つの技術を長く磨いていけば、その分だけ自分の力になるという見通しでした。その前提から考え直すのは、使う道具を変えるだけの話ではないんですよね。
AIを気にせず作ればいいと言われても、存在を知る前の気持ちには戻れませんでした。
時間をかけて作っても、埋もれてしまいそう
やる気が落ちた理由は、AIだけではありません。ゲームやイラスト、音楽を見ていて、周りの作品の水準が上がったようにも感じています。
ゲームでは、中国のメーカーの作品など、画面を見ただけで豪華さが伝わるものが目に入ります。以前なら十分すごいと感じた見た目にも、いつの間にか慣れてしまいました。
もちろん、大きな会社と同じものを個人で作る必要はありません。それでも、遊ぶ側として目にする作品と、自分が作れそうなものを比べてしまいます。
まだ名前を知られていない僕のような作り手は、まず作品に興味を持ってもらわないと始まりません。何作か出しながら上達すればいいと考えても、その途中の作品を見てもらえるのかが不安になる。
半年かけて完成させても、誰にも気づかれずに終わるかもしれない。その間に、周りの水準はさらに上がっているかもしれない。
そんなことを考えると、制作に何百時間、何千時間と使う覚悟が持てなくなりました。好きな気持ちはあっても、それだけで長い作業を続けられるとは限りません。
未来の不安を、今日の作業にまで持ち込んでいた
振り返ると、僕は先のことを考えすぎて、今やることまで疑っていました。
5年後が分からない。だったら半年後も分からない。今の作り方を続けていいかも分からない。そこから、今日この作業を進める意味まで分からなくなる。
先の見通しが立たないことを、今は何もしない理由にしてしまっていたんです。
変化があっても作り続けている人は、未来を考えていないのだと思ったこともありました。でも、同じ不安を感じながら動いている人もいるはずです。
違うのは、先の不確かさを、今の行動にどこまで反映させるかなのでしょう。
やってみて、違ったら修正する。理屈では分かります。けれど、時間をかけたものが無駄になるかもしれないと思うと、僕にはその割り切りが難しかったです。
時間を使ってきた分野ほど、割り切れなかった
自分でも意外なのですが、イラストではAIを練習にすぐ活用できました。実際に評価も伸びて、役に立つものとして受け入れられたんです。
イラストには、ゲーム制作ほど長い時間を使っていませんでした。だから、自分にできることが増えるうれしさを感じやすかったのかもしれません。
一方、ゲーム制作では、同じようには受け止められません。苦労して覚えたことをAIが短時間でこなすのを見ると、便利だと喜ぶ前に、自分がかけてきた時間のことを考えてしまいます。
Pixivのフォロワーには、以前は僕より絵が上手かったのに、ここ数年ほとんど描いていない人もいます。ただ、その人が描かなくなった理由は分かりません。AIのせいだと決めつけることもできないです。
それでも、自分の反応の違いから、長く頑張ってきた分野ほど、AIを受け入れるのがつらい場合もあるのではと感じました。
僕はAIそのものが嫌いなわけではありません。時間をかけて身につけた技術が、自分の強みではなくなっていくように感じる。それが悔しかったのだと思います。
失った気持ちと、残っている能力を分けて考える
ここまで整理して、気づいたこともあります。AIが何かをできるようになっても、僕が覚えてきたことまで消えたわけではありません。
ゲームをどう組み立てるか。動かしてみて何がおかしいか。どこを直して、どこは手をかけすぎずに済ませるか。制作の中で考えてきた経験は、今も残っています。
例えば、AIにコードを書いてもらうとしても、動いたから完成とは限りません。作りたい仕様に合っているか、後から変更できそうか、不具合がないかを見るときには、これまでの知識を使えるはずです。
何も分からなかったころの僕に戻ったわけではないし、僕自身もAIを使えます。
揺らいだのは、自分の能力そのものよりも、技術の希少性と、努力を続ければ将来は有利になるという確信だったのかもしれません。
それを一緒にして、今までやってきたことが全部無価値になったように感じていました。
この区別がついたからといって、すぐ制作に戻れるわけではないです。ただ、自分にはもう何も残っていない、とまで考える必要はなかったのでしょう。
おわりに
AIのおかげでできることが増える。そのうれしさと、自分が積み上げたものの価値が変わってしまうつらさは、両方あるのだと思います。
今の僕は、ゲーム開発へのやる気を取り戻せたと胸を張れる状態ではありません。それでも、何がつらかったのかは、以前より言葉にできるようになりました。
同じように手が止まっている人も、自分ができなくなったことと、努力に期待できなくなった気持ちを分けてみると、残っているものに気づけるかもしれません。
僕も、これまで覚えてきたことをこれからどう使うか、もう少し考えてみたいです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
以前、フリーランスの契約が終了したときにも、AIと自分の仕事について書きました。仕事の面で感じた不安については、こちらの記事も読んでいただけるとうれしいです。


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